Biography

いまでこそ、アムランやヴォロドスなどの体育会系ヴィルトーゾが世間で認知されているが、まさに元祖「現代のヴィルトーゾ」カツァリス。髪型や変顔でときどきネタにされ、変人枠代表であることは否定できないうえに、このおよそ1980年代からの30年間の活躍は紆余曲折。ときどき注目され、忘れられの繰り返し。しかし、その功績はやはり偉大なのだ。

「真のピアノ好きのためのピアニスト」、それがこのカツァリス。

たとえば彼の出世作「ベートーベン交響曲全集」。リスト編曲だけにもちろん難曲だ。しかし難曲といっても、当時の「アマチュアでも弾けるように」かかれた曲。一般人に弾けない曲は売れないのだから当然だ。カツァリスは、さらに上をいく。リストの曲に音符を足すのだ。それは、想像を絶するテク。しかし、録音では、どんなことでもできる、という人もいる。多重録音すればいいからだ。だが、カツァリスは実演する。ただ、鍵盤を必死にぶったたく、ブッタタキピアニストではない。音は一切割れたりしない。余裕なのだ。

ただ、指が動くだけではない。音色がものすごくいいのだ。キレイなだけでない。あるときは、明るく、あるときは深く、あるときは、荘厳な響き。自由自在に使い分ける。彼の弾くシューベルトリストの歌曲をきけば、その歌心と音色の使い分けに驚嘆するはず。また、自身が編曲したトッカータとフーガをきけば、その荘厳な響きにピアノという楽器の可能性の大きさすら感じるはず。

そして、旋律を歌う心とセンス。本当に泣かせてくれる。シューベルトソナタD960や子供の情景は彼の歌心に感服。アンコールピースのショパンのノクターン遺作やタイスの瞑想曲などの小品もさらりと聞かせるセンス。

彼の来日公演の曲目をみればわかる。こんな面白いピアニストは他にいない。

Year Topics Details
1951年 5月5日 マルセイユに生まれる。 両親はキプロス系。このときキプロスはまだ独立していない。
しかし、あるインタビューで、1947年に父の仕事のため(石鹸工場)、カメルーンに移住したとも言っている。母親が生まれるときだけマルセイユにいたらしい。

生まれたばかりのシプリアン。
母の名前はニキ、姉さんの名前はオーロラ。お母さんは残念ながら数年前に他界。お姉さんはまだ元気の様子。


少年時代のシプリアンと父。父の名前はエロトクリトス。あまり彼から父親の話がでることはない。シプリアンが15-6歳のときに亡くなっている。

1955年
(4歳)
カメルーンにて ピアノをはじめる。 姉の影響でピアノをはじめたらしい。ちょっとモーツァルトのようだが。このころベートーベンの田園交響曲を聴いて、ピアノで弾いてみたいと思ったとか。ところがレッスンにいかせても1本指でしかピアノを弾かず、全部の指を使うようになるまでにはしばらくかかったという。頑固な性格はこのときからすでにあらわれている。
ピアノだけではなく音楽はとにかく好きだったらしく、レコードをかけて指揮者のまねごとばかりしていたとか。

最初のピアノの先生、ガブリエル・ルーウェルス先生と。カツァリス曰く「ずっと先生の足ばかり見ていた」

1964年
(13歳)
パリ音楽院入学 Aline Von Barentzen、Jean Hubeau、Monique de la Bruchollerie らに師事。

カツァリスに最も影響をあたえた、モニク・ド・ラ・ブリュショルリ先生のレッスン。カツァリス曰く「超怖いスパルタ先生」。女性ピアノストのことを滅多にほめないカツァリスが尊敬する人の一人。女性ピアニストで始めてラフマニノフ協奏曲第3番を弾いた人だそう。
1966年
(15歳)
パリでコンサートデビュー

5月8日にパリのシャンゼリゼ劇場で、若手を集めたコンサートに出演。リストのハンガリー幻想曲を演奏し、コンサートデビューを飾る。このときの演奏は現在も France Musique のアーカイブで聴くことができる。
こちらを参照

1970年
(19歳)
同校卒業 室内楽とピアノ部門を主席で卒業。アルベール・ルーセル財団賞を受賞。
同年 チャイコフスキーコンクールで入賞 ディプロマ受賞(特別賞みたいなもの)

チャイコフスキーコンクール表彰式で、その後の因縁の相手ギレリスと。
1972年
(21歳)
エリザベート国際コンクール9位入賞 唯一の西側参加者での入賞となったものの、審査委員長のギレリスの反対で落とされたそうな。このときの優勝はあのアファナシェフ。ポゴレリッチのショパンコンクール落選以来のスキャンダルだそうな。そりゃギレリスにしてみたら、カツァリスの音楽は理解できないだろうな。

ベルギー国王ボードワン1世とファビオラ王妃、コンクール表彰式にて。
1974年
(23歳)
ジョルジュシフラ国際コンクールで優勝 とうとう優勝。このころからEMIへレコーディングを開始する。
写真左は、コンクールの後に自分のコンサートのアンコールのときにカツァリスを紹介するジョルジュ・シフラ。その後も何回もシフラと会うカツァリスはいまでももっとも尊敬するピアニスト・人としてシフラの名を挙げる。
1976年 自作「フェニックスの詩」を作曲 カツァリスは作曲もする。
1977年 エテルナハ音楽祭の芸術監督に就任 ルクセンブルクの著名な音楽祭。すでに辞任してしまったがかなり長い間監督を努めた。最近まで定期的に出演していたが、音楽祭自体が2017年に終了してしまった。

エテルナハ音楽祭にて、ゲストのアレクシス・ワイセンベルク、ラザール・ベルマンなどと。
1978年 自作「キプロスのラプソディ」作曲 この曲は、アンコールCD集に収録されている。
1980年 EMIからTELDEC 移籍 EMIからLPを何枚かだした後、TELDECへ移籍。看板ピアニストとなる。ちなみにTELDECでは、他に、ブッフビンダーとか極めて地味なピアニストしかいなかった。

なんだかんだで、このころのカツァリスはカッコイイ。
1981年 ベートーヴェン交響曲全曲レコーディング開始 カツァリスの名前を一気に有名にしたベートーベン交響曲ピアノ編曲版のリリースを開始。リスト編曲といいながら、足りない音符を追加して弾くという芸当に世界が脱帽。1990年に完結。
1984年 フランツ・リスト賞受賞 ベートーベン第九シンフォニーの録音が受賞
同年 ドイツ・アウディオ誌ベストレコード賞 同じく第九シンフォニー。この第九、合唱は?という疑問に答えると、当然合唱パートもピアノで弾いてます。もちろん1台で2本の手で。多重録音無し。壮絶。
1985年 ショパン協会ベストレコード賞
初来日
ショパンのバラードスケルツォの録音で受賞。このため、1990年にショパンコンクールの審査員を務める。
この年、室内楽とソロで初来日。
1986年 Record of the Year Award 受賞 全てのリストの録音レコードに対して、British Music Retailers Associationから贈られる。
同年 NYのカーネギーホールデビュー ピアニストとしてはひとつの到達点であるNYカーネギーホールデビュー。大成功を収め、その後常連となる。
1989年 再びフランツリスト賞受賞 ベートーベン第1・2シンフォニーの録音にて再度受賞。
1991年 SONY CLASSICALへ移籍 ショパン ピアノ作品全集にてSonyへ録音がスタート
1992年 NHKにて「ショパンを弾く」放送 ご存知、NHK「ショパンを弾く」の放送開始。いまだに思うが、NHKの番組担当者はどうしてカツァリスに白羽の矢をたてたのか。よほどの慧眼か、そうじゃないか。だって、「モーツァルトを弾く」がワルタークリーンとか、ベートーベンかなにかはオピッツとか・・・。ちなみに本人が行ってたのだがこのショパンを弾くの講師オファーをカツァリスが断った場合、アンドラーシュ・シフに依頼がいく予定だったとか。シフでショパン???とは思うけれども。
1995年 Sonyから「イタリア風バッハ」をリリース この後、ショパンの録音をめぐり、ペライアを優先したかったSonyとケンカ別れ。
1997年 Knight’s Order of Arts & Letters 受賞
Artist of UNESCO for Peace 任命
フランス政府より叙勲
1999年 カーネギーホールで記念演奏会 ショパン没後150年のメモリアル演奏会をまかされる。2000年にはバッハのメモリアルコンサートも開く。このときのDVDは神映像。
2001年 ついにオリジナルCDレーベル「PIANO21」立ち上げ どこからもCDがでないのに業を煮やし、自分でレーベルの立ち上げ。その後、DG、EMIの原盤権を買い取り復刻リリースしたりしながらも、常に赤字に悩まされながらなんとか2019年現在も存続中。
同年 ロン=ティボー国際コンクール審査員 11月に開かれたピアノ部門コンクールで審査員を務める。ちなみに審査委員長はネルソン・フレイレ。
同年 Médaille Vermeil de la Ville de Paris 受賞 パリ市から受勲
2008年 北京オリンピック開会セレモニー参加 ランランなど10人のピアニストと共演
2009年 Commandeur de l’Ordre de Mérite du Grand-Duché de Luxembourg ルクセンブルクから受勲
2012年 脳梗塞で倒れる 10月、キプロス大使主催コンサートに脳梗塞を発症するも、すぐに奇跡の復帰。
家族 姉がいる。この姉の影響でピアノをはじめた。子供好きで、この姉の子供たち(つまり甥、姪)を可愛がっている。しかし、自分の子供はいらないらしい。かつてはかなりの「お母さん」子だった。父は16歳のときに他界。
結婚 絶対しない宣言済み。もはや、女好きを隠そうともせず、ミニスカの流行周期を気にするあたりは伝統芸の領域。「音楽と美しい女性達への興味は永遠だ」とか上手いこと例えるような発言だが、ただ本人も自覚するほどの「病気」(本人談)。フランスでリサイタルを開いたとき、その直前に知り合った女性を急に呼び寄せたくなり、飛行機をチャーターしたことがあるらしい。。。うーん、ジュトゥヴー。管理人と好きな女性のタイプを話すときが一番盛り上がり、神がもっとも地上に降りてくる瞬間だが、基本的には来るもの拒まず。昔はともかくモテたのは分かるが、いまはあの風貌なので。。。
性格 国籍はフランスだが、ルーツは完全にギリシャ系の地中海コスモポリタンな陽気なおっさん。プライベートでは陽気でフレンドリーだが、音楽面、仕事面ではかなりの偏屈でプライドが高い一方で他人との協調を嫌い、絶対に人の言うことを聞かない頑固者。そのくせ、ときどき病む(笑)
嗜好 タバコ、酒はダメ。ただごくまれに上機嫌のときはビールに口をつけることもある。食べ物は、かなりの偏食で、生魚いっさいだめ。エビカニなどのたぐいはどんな風に姿を変えていてもだめらしい。卵、牛乳もだめ。生魚も卵もだめだが、魚の卵、つまりイクラなどは好物らしい。基本グルメとはほど遠く、日本公演中もファミレスでハンバーグ食べてご機嫌。かつて大好物だった神戸牛やとんかつは、脳梗塞や心筋梗塞のあと控えている模様。お菓子のTimTamが大好物でなぜか日本で大量に買ってスーツケースを満杯にして帰る。
趣味 手紙を集めること。楽譜を集めること。ラジコンヘリ。
仲間 音楽仲間はほとんどいない、孤高の存在。もはや好んで共演する指揮者もおらず、日本の宮沢明子さんが知りうる唯一の演奏家仲間だったが最近はあまり絡みをきかない。ちなみに女性は好きだが、女性ピアニストは嫌いだそうな。かつて、少し気の合う仲間で「シプリアンカツァリスクインテット」というのを結成したがやはり無理・・・。
かつて80年代に本人はこう語っている。「ボクの夢はヒロヒト天皇陛下に会うことなんだ。同じファミリーで124代2000年以上も続いている。天皇陛下に英雄と皇帝を弾いて捧げたい」が、一方で、ミスユニバースにあうのが夢、とも。
ピアノ ピアノは、コンサートではスタインウェイかヤマハを使用。かつては大きなホールでは豊かな響きのスタインウェイを使い、小さなホールではヤマハを使うという使い分けだったが、いまはヤマハがあればヤマハ優先。日本ではカツァリスのお気に入りのヤマハCFXを各地で弾く。正直、この相性が抜群で、カツァリス聞くなら日本以外は無いのではとも思える。かつて、レコーディングでは、ベートーベン交響曲全集制作の際に、マークアレン(カツァリスのための特製)、ベヒシュタイン、などを使用。最近ではこれに加え、ドイツのメーカー、シュタイングレーバーもレコーディングでは弾いている。また、近年は中国でベヒシュタインの広告塔のようになっており、中国各地でベヒシュタインを弾き回っている模様。ベーゼンドルファーはほとんど弾かない。
レパートリー 極めて個性的。一言で言えば、「他人の弾く曲は興味がない」。ショパンはSonyへピアノ全集を録音しようとしたくらいだがもともとの発端は他人が録音していないマイナーな曲を録音して「本当の全集」を作りたかったところからはじまる。リストは、晩年の曲のみ好んで弾き、超絶技巧練習曲などは弾かない。ラ・カンパネラなど絶対死んでも弾かない。ベートーベンは交響曲を全曲弾いたが、ソナタは数曲のみだが、これはいつか全曲弾きたいとは言っている。シューベルトもソナタはD960のみで、 リスト編曲の歌曲がいまは3曲のみ。モーツァルトは、一部のソナタ、幻想曲は手をつけたがいまはコンチェルトしか弾かない。そのコンチェルトもカデンツァをいじりたおして好き勝手弾いている。ブラームスは10年前にソナタ3番を弾いたがそれっきり。その他、中心になるのは、基本編曲ものや、中南米などで見つけた珍曲。故郷キプロスの音楽を中心に地中海ものも得意。
コンチェルトも少なく、リストのハンガリー幻想曲と第2番協奏曲はかなりの回数弾き、現在はベートーヴェンの3番は得意。あとは、バッハの3番、ラヴェルなどをたまに弾き、かつての日本でも弾いたシューマンはしばらく弾いていない。モーツァルトは全曲録音しているが、あまりコンサートでは弾かない(たぶんオケからのリクエストがないのだろう。しかし、なんといっても彼にとってのピアノ協奏曲はオケと弾くものではなく、自分だけで弾くものという「楽団ひとり」の協奏曲フルバージョンが大好き。楽譜が正式にあるショパン第2協奏曲以降、自分の編曲による、リスト第2協奏曲から、とうとうベートーヴェンの皇帝まで、一人で弾いてしまう。こうなると、どこまでこれをやるのか、と思うが、おそらくいずれチャイコフスキー1番はやってくると思われ。