6月15日パリリサイタルの批評

先日6月15日にパリで70歳記念リサイタルが行われましたが、その批評がwebマガジンみたいなものに載っていたので日本語訳して紹介します。
元記事はこちら。
いまさらですが、去年の5月5日の満70歳の誕生日に予定されていたコンサートの延期分なので、70歳記念といってももう71歳も過ぎているのですがね・・・。

「素晴らしいCyprien Katsaris」

去る6月15日、パリのサル・ガヴォーホールにてシプリアン・カツァリスは自身の70歳を祝いました。それはまたおおよそ50年間のステージキャリアを祝うものでもありました。舞台上はまるで彼の家のような雰囲気で、観客は演奏が始まる前から熱狂していて、カツァリスはうれしそうに観客に語りかけました。彼の最初の挨拶は真面目な感じで、ウクライナ人達そしてどの戦争もそうであるようにこの馬鹿げた戦争の被害者たちの苦しみや、アートの世界でありうるであろう全てのボイコットに激しく抗議するものでありました。
音楽愛好家にとって、シプリアン・カツァリスは現存している伝説のピアニストのひとりであります。伝説のアーティストというものは、だいたいセレブの世界、オーケストラ、指揮者、室内楽のパートナーというようなところからキャリアを始めるものです。しかし、カツァリスは作品の多様な真実や豊かさによって自由に演奏でき、自由な道を進むことができるリサイタルという形を好みます。シプリアン・カツァリスにあっては、作品を継承する演奏家という自惚れはありません。その姿勢は穏やかで庶民的であり、さまざまな異なる演奏を聴かせてくれる、音楽の探検家のようです。このようなことから、彼はバッハ編曲のAntonio VivaldiやAlessandro Marcello、リスト編曲Beethovenのシンフォニーというような作品のトランスクリプションに特に惹かれたのです。トランスクリプションはまた常にピアノのテクニックを見せびらかすきっかけとなっています。穏やかに見えるカツァリスですが、彼にとっては強い欲望からバリエーションに富んだ即興演奏の爆発が起こります。さらに、Franz LisztやSigismund Thalbergの作品を演奏する時には、腕が3本も4本もあるかのような、あるいは何か指に仕掛けがあるのではないかと思わせる目が眩むようなことが起こります。これはまさしくGeorges Chiffraを連想させます。カツァリスのプログラムについてですが、彼は年代順に曲を演奏することを好みます。それは単に幅広い年代の曲を選んでいるかのように思われますが、実はそれだけではなく彼独自の目線で選んだものであり、そのことが最終的にはリサイタルに一貫性をもたらしているということがわかります。

今回のプログラム前半は
Le prélude BWV 921 de Johann Sebastian Bach,
la 48e sonate de Joseph Haydn,
le 2Klavierstück et la sérénade dans la transcription de Liszt,de Franz Schubert,
de Liszt la Czardas obstiné, arrangée par le pianiste,
quelques pièces de Chopin : valse opus 64 no 2, fantaisie-impromptu  opus 66, polonaise « héroïque »

そして第2部は昨年12月16日に没後100年を迎えたサン=サーンスに捧げられました。曲目はLucien Garban編の動物の謝肉祭のトランスクリプションにカツァリス自身が手を加えたもの、そして1908年Andre Calmettes演出による18分間ギーズ公の暗殺の映画の上演、この映画のために作曲を依頼されたのはサン=サーンスであり、これが世界初の映画音楽となったのです。

カツァリスが、他のピアニストが弾く意欲をなくしてしまうほどのヴィルトゥオーゾ・ピアニストであることは一目瞭然です。彼は両腕と1本1本の独立した驚異的な指で、ベヒシュタインを我が物のようにあやつっていました。ピアニストが表現したいと思う音声がそれぞれ均一にコントロールされており、個性的な美音が響き渡っていました。それは時に聴衆にとって驚くべきことでありました。彼はまさしく「ピアノのヒーロー」なのです。

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